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トップページ2007年 風林火山の記憶紀行

3月24日〜25日 信濃の旅

【3月24日】
13:30〜NHK長野「大河ドラマ講演会」(篠ノ井市民会館)
 終了後、ホテルへ(JALシティ長野泊)
【3月25日】
10:15長野駅よりバスにて松代へ
10:50松代駅着
海津城跡・真田邸→タクシーにて妻女山へ
13:47岩野駅(長野電鉄)→松代駅(バス)→川中島古戦場へ
勘助宮・典厩寺・胴合橋・八幡原史跡公園・山本勘助の墓→金井山駅へ
18:25金井山駅→長野駅→新幹線にて帰路


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 今回の長野入りの目的は3月24日に開催された大河ドラマ講演会!ナマ内野さんに会ってご機嫌〜(*^0^*) で日帰りしても良かったのですが、せっかくのチャンス。ホテルに1泊して、前々から一度は訪問しなくちゃ!と思っていた川中島に行ってきました。当初の出発は8時だったのですが、前日の夜更かし(ホテルのビジネスルームで講演会のレポを書いていたので^^;)のせいで起きられず。。。更に、旅行では絶対に外せないホテルのモーニングビュッフェ(ホテル選びの基準なのです…笑)も満喫したいので←単に食い地が張ってるだけ^^; 出発を遅らせることにしました。

 10時過ぎのバスで松代へ。バスに乗った時から私の心は勘助サマと同調……人生の最後の時を過ごした地に行くというだけで胸がいっぱいになっていました。松代到着後、まずは海津城址に向かいました。海津城は信玄が勘助に命じて造築させたという城で、後の松代城でもあります。私の頭の中では海津城なので後の話は興味なし!って感じだったのですが。長野電鉄の松代駅(童謡「汽車ぽっぽ」発祥の駅で歌碑あり。駅舎も懐かしい風情が漂っています。)から線路沿いに行くこと数分。線路をわたると海津城の城壁(再現)が見えてきました。土盛りの壁の上には白・赤・紺の風林火山旗がはためいていて、それを見ただけで私の頭は一気に風林火山の時代へタイムスリップ。二つの大きな門を通って城内に入ったのですが、勘助サマはどんな気持ちで造築に携わったんだろう?原作には「いずれこの城にお入りになる勝頼様のために……」とあったから武田家の未来を信じてたんだろうなぁ〜等々、いろ〜〜んな思いを勝手に巡らせていました。

 前日からの雨で(この時もまだ小雨がパラパラ)下がぬかるんでいたので歩きにくかったのですが、芝生部分を選んで歩き、展望台(といっても2階建ぐらいの高台ですが)に登りました。目の前には民家や田畑が広がっていて良い眺めでした。勘助サマが生きてた時代には何があったのかな〜〜とまたまた妄想三昧^^;

 予定ではその後すぐに電車で妻女山に向かうことになっていたのですが、冒頭に書いたとおり、出発時間が変わってしまったので電車の時間と上手くかみ合わず(1時間に1本の超ローカル線!!)どうせなら真田邸も回っちゃえ!ということで、真田邸&文武学校を見学してきました。真田邸に向かう途中、やたらと目にする「小山田」という標札や看板……小山田ってアノ小山田?!思わず田辺誠一さん演じるキレ者・ワイドショー好き(爆)の小山田さんを思い出してしまいました。こんな不届きなことを思っていると、スルーするにはあまりに立派な門構え。しかもその横には説明書きが!!「当小山田家は武田信玄薫陶の武将として戦国時代に活躍した小山田備中守の後裔で………」予感的中!まさかの遭遇でした。

 真田邸は工事中だったので庭園のみ無料開放。私は庭を愛でる風情ある心は持っていないので、「ふう〜ん」って感じで通り過ぎただけだったのですが。文武学校の方は学問所や弓道場、剣道場等々の建物が建っていて、拝観料を払って敷地内に入れば、あとは勝手に靴を脱いで上がって見学してもいいことになっていました。江戸時代以降に関係する建物なので風林火山な時代とは随分かけ離れてしまいましたけど、いちおう「真田」繋がりということで各々の建物に入りましたが、、、暗くて怖かったです^^; 他にも見学者はいたのですが、とにかく人気がないので空気がヒンヤリ〜〜見えてはいけないモノが見えそうな気がしました。しかも!!旧暦の桃の節句に合わせてひな人形展の如く、数々のひな壇が飾られていたので不気味さもいっそう増してて………ホント、涼しくなりました(笑)

 松代駅に戻った後はタクシーにて妻女山へ。行きは山頂(といっても片道徒歩30分くらい)までタクシーで行ったのですが、帰りは徒歩で最寄りの岩野駅まで下山してきました。山頂には展望台があって、そこからは川中島一帯が堪能できます(謙信勢の旗「毘」あり)。その昔、上杉謙信はどんな思いで眺めていたのか、目の前に広がる平原で勘助サマはどんな気持ちで戦ったんだろうか。実際に激戦の舞台となった地を目の前にして、すっごく熱い物が心の中に沸き起こってきました。そして言いようもない切なさが溢れてきて目がウルウル。暫し佇んで広野を眺めていました。展望台には第4次川中島合戦の見取図&説明図があって、歴史的な事柄が起きた地を使って合戦の様子を学ぶという、何とも贅沢な時間!!風がピューピュー吹いて寒かったけれど(めちゃめちゃ体が冷えました--;)充実した一時を過ごすことができました。

 岩野駅から再び松代駅へ。そこでバスに乗り換えて川中島古戦場に向かいました。ここからは、言ってみれば「武田側の視点」ということになるのですが、水沢天厩寺バス停で下車して道をまっすぐ勘助宮へ。ここら辺から私の妄想劇場はヒートアップ!!!原作の勘助最期の場面がグルグルと頭を駆けめぐってました。本陣は現在の八幡原史跡公園にあったと言われてて、勘助サマは「啄木鳥戦法」を見破られた責任を感じて敵陣に討って出る。史実は分からないけれど、多分この道辺りを瀕死の重傷を負いながら歩いたのかもしれない……そう思うだけで胸が張り裂けそうになりました。しかも、小説では由布姫の幻影(?)が現れて勘助サマに語りかける。。。私も朝から歩き通して疲れていたのですが、いろ〜〜んなことを思い出すと本当に本当に辛くて。。。

 バス停から歩くこと約1時間、やたらと立派な施設を発見。それまで心身共に満身創痍、妄想全開で歩いていた私、ふと我に返って……「凄い大きなスタジアムだなぁ〜〜道も立派だし。誰か地元から偉い人でも出たのか?!」なんてお気楽なことを考えてて……でも聖火台を見た瞬間に( ̄□ ̄;)思い出しました!!長野オリンピックのメイン会場でございました。長野の皆様、スミマセン m(_ _)m

 オリンピックスタジアム、やっと着いた〜〜と思ったのですが、それは甘かった(泣) とにかく広いこと!!オリンピックのメイン会場になったわけなので当たり前なのですが、敷地の端から端まで歩いて15分はかかる広大な敷地!しかも勘助最期の地とされる勘助宮は敷地の端っこ。いや〜〜遠かったです。

 勘助宮、もともとは現在石碑が建っている場所から約100メートル北東にあって、このスタジアムが建てられた時に石碑その他の移転を余儀なくされたということなので、正真正銘?!勘助サマが亡くなった地というわけではないのですが、その昔、川中島の合戦の激戦地、きっと死体の山がゴロゴロあって、馬が駆け抜けた後の土埃が凄くて……そんな中、勘助サマは何を思って倒れたんだろう、きっと武田家の未来を信じて死んでいったんだろうなぁ〜〜そんなことを勝手に考えていたら目がウルウル(泣)してきちゃいました。

 勘助サマの最期に思いを馳せながら来た道を引き返して再び歩くこと1時間。途中、午前中に登ってきた妻女山の方向を見たのですが、今は家や畑があるけれど、当時はだだっ広い平原だったので武田軍の動きがよく見えたんだろうなぁ〜と思いました。武田軍の方も濃霧で視界が悪かったそうですが、その霧が晴れた時は相当焦っただろうなと……気分は武田軍の武士(雑兵?^^;)!!

 八幡原史跡公園に向かう途中に信玄の弟で川中島の戦いで戦死する信繁の菩提寺である典厩寺に立ち寄りました。が!!その時既に16時過ぎ、長野市立博物館(八幡原史跡公園)で開催されている風林火山特別企画展に間に合わない!!前日に行われたオープニングセレモニーに出席されている内野さん……絶対に外せない場所だったので、典厩寺はざっと見ただけです。宝物館には信繁が使ったと言われる甲冑や兜、勘助や信玄の掛け軸がありました。でも、ゆっくり妄想している暇はなかったので、ちょっぴり心残り?!

 典厩寺を出てからはひたすら走りました。最終入場時間5分前!!ここまで来て入れなかった洒落にならないわっ!次はいつになるか分からないし………ゼーハーゼーハー(*_*) とても疲れましたが何とか時間に間に合いました。特別企画展は、パネル展示や川中島の戦いの説明(大画面テレビでのドラマ仕立ての番組あり!)、複製の風林火山旗、実際に使われたサイズの槍や鉄砲(確かに重かった!これ、内野さんも持ち上げたりしていらっしゃいました♥)とドラマ撮影で使われる小道具として作られた槍や鉄砲が展示されていました。う〜〜ん、正直なところ1回見たら十分……か^^; 内野さんと同じ場所に来たというのが一番嬉しかったような(笑)

 博物館を出た後は公園内を見学。有名な「信玄・謙信一騎打ち像」や「三太刀七太刀之跡」石碑、「甲越直戦地」石碑を巡りました。武田の本陣があった場所の前に立った時は、やはり考えました……勘助サマのこと。自分が提案した戦法が見破られて、その責任を負って自ら敵陣に討って出る。出陣した時の気持ちはどんなだったんだろう。信玄はその時何を思ったんだろう。。。500年余り前の出来事を考えていると、またまた切なくなってしまい悶々とした気分になってしまいました。そして、そんな気持ちのまま、お次は胴合橋へ。

 典厩寺からの道を戻っていく形になったのですが、場所が分からなくて一苦労^^; 風林火山ガイドブックに「そば店の敷地内」と書いてなかったら通り過ぎる、あるいは近くの小道を入って住宅街に行っていたかも?!交差点の角地にある「そば蔵」というお店(峠の釜飯で有名な「おぎのや」の隣)の建物の横が目的地!無事にたどり着くことができました。身元が分からないくらいに荒れていた首&胴体を繋げて勘助サマだと判明したと伝えられる地です。すぐ近くにそば店の窓があるので食事中の人たちの視線が気になりつつもデジカメで激写!あぁ、勘助サマが死んじゃったのね〜(今じゃないのに…)って思うと辛くて辛くて……胸が痛かったです。

 そして最後の訪問地。私のこだわり、勘助墓は行程の最後にしたかったんです。川中島の旅の締めくくりであり、ゆかりの地を巡った上でちゃんと挨拶をしたかったから。土手沿いに歩くこと1時間弱………予想以上に遠かった^^; 対岸を見て「多分あの辺りなんだろうなぁ」と見当はつくものの、川を渡るわけにもいかず、中州づたいに行けそうな気もしたのですが、手前まで行って渡れなかったら逆に遠回りになるし……急がば回れ?!そして、ぐるりと回って橋を渡って勘助墓へ。近くに「風林火山」の旗が立っていたのですぐに分かりました。土手を下りていくと妙に綺麗に整備されている周辺。写真で見るのと趣が違っていて、観光地化されているのがちょっと興ざめでした。でも、お墓の前に立つと何故か涙が溢れてきてしまって……思いました。山本勘助という人物は確かにこの地に生きていた。理屈じゃないんです。詳しい資料が残っているわけでもないし、そんなに身分が高かったわけでもない。もしかしたら現代でイメージされてるような軍師像とは違っているかも知れない。だけど、確かにこの人はいた……自分でも不思議だけど実感しました。お参りした後、しばらく佇んでいました。まるで勘助サマと言葉にならない言葉で会話しているみたいでした。その後、お墓を一周して説明が書かれた看板(?)を読み、もう一度お参り。内野さんのこと、大河ドラマのことをお願いしてきました。

 金井山駅から須坂経由で長野駅へ。一日中歩いて足の裏には豆ができてるし、ずっと勘助サマのことを考えて心はヘロヘロ……満身創痍の帰還になりました。でも充実した1日で大満足♪

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